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ケント (HMS Kent, 54) はイギリス海軍の重巡洋艦。ケント級。 == 艦歴 == チャタム工廠で建造。1924年11月15日起工。1926年3月16日進水。1928年6月25日竣工。 1928年12月4日、御大礼特別観艦式にサフォーク、ベリックと共に参列。 第二次世界大戦勃発時、ケントは中国艦隊の第5巡洋艦戦隊所属であった。ケントはインド洋での船団護衛などに従事し、1940年8月には地中海艦隊の第3巡洋艦戦隊に加わった。8月16日、戦艦ウォースパイト、マレーヤ、ラミリーズや護衛の駆逐艦と共にアレクサンドリアから出撃し、17日にケントとウォースパイトはフォート・カプッツォを、マレーヤとラミリーズはバルディアを砲撃した(MB2作戦)。続いて8月の終わりからはハッツ作戦に参加した。これは地中海艦隊への増援を地中海を通して送るというもので、それと同時に船団護衛なども行われた。8月30日、戦艦ウォースパイト、マレーヤ、空母イーグル、重巡洋艦ケント、軽巡洋艦オライオン、シドニー、グロスター、リヴァプールおよび多数の駆逐艦がアレクサンドリアから出撃した。9月2日、艦隊はマルタの南西で増援部隊と合流した。帰路、マレーヤ、イーグル、防空巡洋艦コヴェントリーとケントも含まれる第3巡洋艦戦隊、および駆逐艦8隻が分派された。第3巡洋艦戦隊はさらにそこから別れ、駆逐艦ヌビアン、モホークと共にナフプリオ湾からの船団を護衛し9月6日にアレクサンドリアに帰投した。 1940年9月15日、戦艦ヴァリアントや空母イラストリアスなどと共にアレクサンドリアから出撃〔''Chronology of the War at Sea 1939-1945'', p.40〕。16日から17日にかけての夜にイラストラスの搭載機がベンガジを攻撃し、その帰路ケントは駆逐艦2隻を伴ってバルディアの砲撃に向かったが〔''Chronology of the War at Sea 1939-1945'', p.41〕、ケントはイタリアのSM.79による攻撃を受けて艦尾に魚雷が命中し、32名が戦死した〔''The Naval War in the Miditerranean'', p.95〕。ケントは駆逐艦ヌビアンに曳航されて9月19日にアレクサンドリアに戻った〔HMS Kent, British heavy cruiser, WW2 〕。修理には1941年9月まで要した〔''Cruisers of World War Two'', p.86〕。 修理完了後は本国艦隊に所属し、ソ連へ向かう船団の護衛などに従事した。1944年11月12日、ケント、軽巡洋艦ベローナ、駆逐艦4隻はノルウェー南部の沖でドイツの船団KS357を攻撃した。この船団は4隻の貨物船と6隻の護衛(M427、M416、M446、UJ1221、UJ1223、UJ1713)で構成されていた。この戦闘で船団の船は貨物船1隻を除きすべて撃沈破された。 1945年に予備役となり、1948年1月18日に解体のためトルーンに到着。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ケント (重巡洋艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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